なんで未来や可能性を知りたがるんだろう?



なんだかよくわからなくなってる時は

自分の可能性が知りたくなる。


どんなものを持ってるの?

どんな役目があるの?

どんなことを学べばいいの?

どこの段階までいけるの?


真っ暗な闇の中にいる時

すこしでいいから目安という光が欲しくなる。

そうすれば、どの方向へ歩けばいいのかわかるから。

まだ自分は終わってないと確信できるから。

弱っている時ほど、指針が欲しくなる。


そのくせ、決めつけられるのは嫌

否定的な表現だと地の底まで落ちる。

納得いかないと、聞こえないふりをする。

とてもわがまま。


でも、ただ自分がシンパシーをいだけるものが欲しいだけ

動き出すきっかけ

背中を押すあと一つの何か

ささやかな確信が欲しいだけなのだ。


動けない、わからない、迷ってる

というのは

コップの淵ギリギリまで可能性という水が

溢れかけているから。

その可能性というエネルギーをどこへ注げばいいのか

決めかねているだけ。


タイミング!

可能性のスケジュール!

それだけでいいからくれ!!

ってなるとき占星術とか行きたくなるのかも。

日々のカレンダーに少し違うメモリが欲しくて

スピリチュアルなセッションへいくのかも。


エネルギー予報のもともとのところは

自分のために作っていたものが種であって

「もーー!なんだか、わからん! ちょっとでいいから目安が欲しい!!」

って気分のときに作成してたもの。


自分のこと読めるんですか?

って聞かれることがありますが

ツールを使うと読めます。

数字とか、カードとか、キーボードとか。

ツールを使って己を読む時

私は何を求めていたんだろう?


それはやっぱり、宇宙的なスケジュールであり

私の奥にある(であろう)可能性

それを知りたくて

がむしゃらのい読んだり、描いたりしている。


ではそのスケジュールなり可能性がわかると

私はどうなるんだろう?


ふっと肩の力が抜ける。

休んでいい時

勝負かける時

どうしようもないから待ってる時

それがみえてくると、体と心の緊張が抜ける。


自分の奥にあるエネルギーに気づき

今まで築き上げてきたものの価値を知り

周りへの無用な期待をやめ

自分のセンサーをもう一度信頼しようと思う。


ぐにゃぐにゃになった自分を

エネルギー予報っていう線で囲うことで

しゃっきり立ちあがれる

そんな感じ。


落ち着いてみれば

今の状況だって決して悪いものでなく

恵まれているし

今の自分が欲する行動を

一個一個積み重ねて行けばいいだけ、それも楽しみながら。


そういう、もう一度歩き出す

立ち上がる感じを創り出したくて

こういうものを書いてるんだな、って思いますよ。


そういうこと。では!