どんなことでもプレゼントにすればいい

しんどい人間関係、傷つく暴言、思ってもみない結果
嫌だよね、嫌ですよ。
そんなことは起こってほしくない
けど起こってしまうのが人生ってもので
それらは過去を変えるきっかけにもできる
人生からのプレゼントだよ、と本当に思う。

苦しみに負けて跪くことがあっても
何度でも立ち上がって笑っていくのが
人間ってものじゃない?と思う。
そうして得た強さは誰に奪われることのない
自分だけの強さであり、宝だ。
また転んだ時に、この経験があれば
立ち上がるのが容易くなる。

と、いただいたメールを読んで思った。
目の前が暗い時は
あと少しで日が昇る夜明け前なだけだよ。


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『辛さ 苦しさ は、プレゼント』という話、すごく、背中押されました。

今年は、“否応なしに飲まれた” という年だった気がします。
これまでと『なんかちょっと違う』という年だった。

“なかなか思うようにいかない”かと思えば、“咄嗟に実力以上の事ができた”りと …とにかく、自分の小賢しい努力などその通りには実を結ばなかったり、かと思えば、意図せずした事で実力以上の結果が得られたり。
ことごとく、良い方へも悪い方へも自分の“意図”はハズレまくりました。

それは人間関係においても全く当てはまり、“コツコツと…毎日毎日、1年かけて積み上げた関係…信頼?のようなものが…一瞬で消えた…”という事に打ちのめされ、今も引きずる心の傷を得ました。
その後には、本当に大切にしたい仲間たちとの今後につながる嬉しい嬉しい再会を得ました。

心の傷…偏見、無理解、とばっちり…自分じゃどうしようもない“他人の悪意”…苦しくて、悲しい悲しいこの思いを、プレゼントとして前見ていこうと思います。
自分じゃどうしようもないこと、それは、“見守って受け入れていくこと” と “もう見もせず忘れてしまってもいいこと” とに分けて、自分のキャパに無理せず、すべてを抱えなくて良いのだという思いです。

必要以上に恐れていました。保身のために。怪我をしたくなくて。誰よりも快適な安全な場所にいたくて。
『あきらめる(=明らかに見極める)潔さ』によって安全性を失うが、その分だけ『広大な自由』を得られる事も知りました。思わぬ『助け』があることも。
もちろん、まだまだ恐る恐るですが。

感想になっているか分かりませんが、『プレゼント』という捉え方で、これまでのリミットを少しずつ外せそうです。
もっと、本当に生きたいように生きなければ、と

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リミットが外れるまでは
自分が弱くてどうしようもないダメな生き物に思えるけど
リミットを外した途端
自由な未来を描けるっていう
希望も手元にやってくるんだよね。